3分で分かる!ファミコン発売までのゲームの歴史


スマホアプリで、家庭用ゲーム機で、ゲームセンターで…
技術の発展とともにビデオゲームはいつでもどこでも遊ぶことができるものになりました。
「ゲーム無しの人生なんてありえない!」という方もいるのではないでしょうか。

ですが皆さん、ゲームがどんな歴史を歩んできたのかご存知でしょうか?
今回はご存知ない!という方のためにゲーム黎明期の歴史をご説明したいと思います!
明日から使える知識ですので、同僚や友人にドヤ顔で自慢しちゃって下さい!

アタリ社の隆盛

1960年代からコンピュータのプログラムによって、ゲームを作る試みは行われてきましたが、
世界で初めて商業的な成功を収めた作品と言われるのが、アメリカのアタリ社が1972年に発売した『PONG』というアーケードの卓球ゲームでした。
PONGは真っ黒な背景に、ラケットに見立てた線とボールに見立てた点、そして得点だけが描かれているというとてもシンプルなグラフィックでした。
(ちなみに同じ1972年には、商業的に失敗してしまったもののマグナボックス社から世界初の家庭用ゲーム機「オデッセイ」も発売されています)

PONGのヒットを皮切りに、アタリは『Space Racce』『ガッチャ』などのヒット作を次々に生み出していきます。

パックマンの大ヒット、そしてアタリショック

1980年に日本のナムコから、『パックマン』が発売されます。パックマンは世界中で大ヒットを記録し、戦後文化史に刻まれるほどの作品となりました。
一方で70年代から成長を続け、ゲーム市場で最大手となっていたアタリは危機に直面していました。
1982年から1985年の間に、北米の家庭用ゲームの売り上げがなんと30分の1以下にまで落ち込み、市場を牛耳っていたアタリはその影響をもろに受けて崩壊してしまうのです。
これが俗に言う「アタリショック」です。

アタリショックの原因は、ゲーム市場に粗悪なゲームソフトが蔓延し、市場全体が消費者に飽きられてしまったことにあると言われています。
この北米市場は段々と回復していきますが、多大なダメージを被ったアタリ社はゲーム業界の最前線から去る事になるのです。

ファミリーコンピュータの大ヒット

任天堂が1983年に発売したゲーム機、それが『ファミリーコンピュータ』略してファミコンです。
任天堂は1980年からゲーム&ウオッチという携帯ゲーム機を発売しており、特に国内で大成功を収めていました。
その利益を使って開発を進め、ついに販売にこぎつけたのです。

ファミコンは1年目から好調な売り上げを記録し、1985年に発売されたソフト『スーパーマリオブラザーズ』の大ヒットとともに売り上げを急激に伸ばしていきました。
アメリカでもファミコンはNESとして販売され、アタリが消えた穴を埋めるように爆発的な売り上げを記録しました。
現在に至るまでゲーム業界のトップランナーであり続ける任天堂ですが、その礎はこの時に築かれたのです。

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